大河ドラマでも活躍している横浜流星さん。
横浜流星さんの両親は若いとの情報があります。
横浜流星さんの両親は何歳で息子を生んだのでしょうか。
今回は横浜流星さんの両親の年齢差と家族をまとめて紹介したいと思います。
横浜流星の両親は若い⁉

横浜流星さんの両親が若いという情報があります。
2019年の女性自身の記事では横浜流星さんの年齢が当時23歳だった頃、お父さんの年齢は43歳。
テレビ番組『A-Studio』では父は42歳、母は44歳と紹介されていました。
また、テレビ番組『ボクらの時代』では両親は21歳で結婚して生み育てていると言っていました。
横浜流星さんのお父さんは青森県東北町生まれです。
地方の田舎は若いうちに結婚する人が多いので珍しくはないでしょう。
横浜流星の両親はどんな人?
父親は大工

横浜流星さんのお父さんは大工をしています。
横浜流星より20歳年上の1976年(1977年早生まれ)生まれで名前は公開されてませんが、顔写真はテレビ番組で出ていました。
15歳のときから大工をしていたので、高校には進学していないのではないでしょうか。
お父さんの性格は寡黙で厳格な人だと言われていました。
お父さんは15歳のときから大工をしていて、めったに笑わない寡黙な人です。12年前には、自ら一軒家の自宅を建てていました。家庭ではかなり厳しかったそうで、流星くんが反抗期のときは、殴って制することもあったといいます。しかし、流星くんはそんなお父さんのことをとても尊敬していて、小さいころの夢は『大工になること』だったそうです
女性自身
子供の頃は悪ガキだったと言われていた横浜流星さん。
反抗期の時期はお父さんにボコボコにされていたそうです。
僕がお母さんと口げんかして、お母さんが泣いてしまったら、『俺の女泣かすんじゃねえ』と、馬乗りにされてボコボコにされたこともあった。空手もやって自信がついてきて、ちょっと反抗しようとしたけど負けましたね。お父さんには一生勝てないんじゃないか
RBBTODAY
そんな厳格な父を持つ横浜流星さんですが、お父さんのことを尊敬していて小さい頃は将来大工になりたいと思ってました。
僕の父は大工で、まさに“背中で語る”を地で行く、絵に描いたような“漢(オトコ)”です。男はこうであるべきだ、みたいなものを、僕はずっと父から学んできているので、父のような人になれたらなと思います。
Web LEON
父さんは本当に僕の尊敬する人。クールで無駄な事は話さない。でも熱いし、男の中の男。(中略)父さんの背中で語るような所 本当にかっこいい。僕も父さんみたいになりたいなー
横浜流星さんとお父さんの現在の関係ですが、今でも打ち解けて会話するようなことがなく、実家に帰っても緊張しちゃうそうです。
正月は毎年、実家に帰りますけど、会話はもうホントにないです。でもこれまでは、僕が出た映画やドラマも全然見てくれなかったのが、最近ようやく見てくれるようになって、舞台(『巌流島』)も見に来てくれたので、うれしいなぁと思って。「ああ、よかったよ」しか言わないですけど。でも、「よかったよ」と言ってもらえるということは、ちょっとは認めてくれているのかなと思います。
Web LEON
一緒にお酒を飲んだりとか。できないんですよねぇ……自分は。いまだに緊張しちゃいます(笑)。
Web LEON
母親は息子に似て美人

次に横浜流星さんのお母さんです。
横浜流星さんのお母さんはお父さんより1歳年上です。
番組で米倉涼子さんが横浜流星さんのお母さんと同い年だと言っていました。

おそらく1975年生まれの横浜流星さんより21歳年上です。
顔は公開されていませんが、息子似の美人だそうです。
「お母さんは、流星くんに似てとても美人。空手の大会には必ずついてきて、サポートしていました。流星くんが芸能の賞を取ったときに『おめでとうございます』と言ったら、にこやかに『ありがとうございます』と言ってくれましたよ」(前出・同級生の母)
女性自身
横浜流星さんはお母さんを
太陽みたいな人で明るくしてくれる
と言っていたので優しくて温かい人なのでしょう。
母さんが太陽みたいな人なので、明るくしてくれる
RBBTODAY
横浜流星の弟はプロボクサーの横浜海斗
エンジニアでプロボクサー

横浜流星さんには1歳年下の弟がいます。
名前は横浜海斗さんです。
横浜海斗さんはアプリ開発のエンジニアとして働きながら、ボクシングでも活躍しています。
横浜海斗さんが所属している『Dangan品川ジム』は2024年2月にオープンしたばかりで、海斗さんがプロ第1号だそうです。
今後の活躍が楽しみですね。
ボクシングを始めたのは大学生から

横浜海斗さんは東洋大学出身です。
横浜海斗さんがボクシングを始めたのは東洋大学に在学した頃です。
小中学生時代はサッカー部で高校は茶道部でした。
東洋大学はボクシングの強豪でしたが入学当時は関心がなく、保育の勉強をしていました。
東洋大学4年生の8月に『DANGAN越谷ジム』にフィットネス目的で入会し、練習を重ねているうちにプロを志すようになったのです。
大学卒業後にアプリのエンジニアの仕事帰りに毎日ジムワークを重ね、2024年7月にプロテストに合格しました。
弟大好きな兄だった

横浜流星さんは弟を溺愛していました。
弟が好きすぎてっていうのもあって、親の目を盗んで勝手に外に出て公園に行ったり、デパートで(親と)買い物をしていく中で急に(親から)離れてお菓子コーナーに行ったり
ETALENTBANK
弟が大好きすぎてお母さんが洗濯をしているうちにこっそり弟と一緒に外に出たり、買い物中に親から離れて迷子になり迷子センターに預けられた過去も明かしていました。
大人になった今でも仲の良い兄弟で海斗さんが横浜流星さんの家に泊まりにくることもあるそうですよ。
今回は横浜流星さんの家族について紹介しました。
最後まで読んでいただきありがとうございました。